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The Angel Cradle.

飛び立つこともままならない。 座り込むことすら許されない。 僕らはいつも、不安定な足場の上に。

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イタリアンレストラン【Vittoria】の休業日は毎週水曜日だ。

客入りが無く、従業員もいない店の中はただただ静かで、とてもがらんとしている。
普段の活気を考えると少々物寂しい気もするが、従業員たちにとってみれば週に一度しかない貴重な休みである。
きっと今頃各々が思い思いの休日を過ごしていることだろう。
それはとても結構な事である。

・・・おや?
休業日だと言うのに、どうも厨房の方から人の気配がするような気がする。
もしや曲者か!?と一瞬身構えたのだが、どうもその気配には見知った匂いが伴っているようである。
はて、休業日に出勤するとはどこの物好きか。
些か興味を惹かれ、どれどれ・・・と厨房の方に足を向けてみれば、不意に誰かの声が聞こえて来た。
正確に言えばそれは誰かの歌声・・・いや、鼻歌で、よくよく耳を澄ませてみれば、曲目はサンタ・ルチアである。
それならば歌い手は一人しかいないだろうと、確信を持って辿り着いた厨房の中を覗けば、案の定。
そこに立っていたのは白いシャツに黒の腰巻エプロンをした姿のCapocuoco(カポクオーコ/料理長)、坂本昌行だった。
『坂本くんは機嫌がいいとサンタ・ルチアを歌い出すんだよね』
いつぞや店のPadrone(パドローネ/オーナー)であり、Cuoco(クオーコ/料理人)である長野博がそう口にしていたのを思い出す。
どうやら本日の料理長は御機嫌上々らしい。
朗々と歌い上げられるサンタ・ルチアとはまた違った、趣のあるその歌唱は、包丁が野菜を刻む小気味よい音と相まって実に耳に心地よい。
厨房の入口に身を潜めたまま、しばしの間その音楽に聴き入っていると、不意に鼻歌がやんで、頭上にふっと影が差した。
「Ciao Sette, Come stai?」
『よぉ、セッテ。調子はどうだ?』との流暢なイタリア語は言わずもがな、坂本昌行が発したものである。
どうやら彼は入口に潜んだ私の存在に気づき、傍にやってきたようだ。
折角なので私も「Bene, grazie」、『元気さ、ありがとう』と答えを返そう。
さぁ息を吸って、はいて、出来る限りの流暢なイタリア語で・・・

「にゃーあ。にゃおにゃお」

・・・いや、分かっていた。
分かってはいたさ。
残念ながら私はイタリア語はおろか、日本語だって話せはしない。
何故ならば私は、(自分で言うのもどうかとは思うが)このイタリアンレストラン【Vittoria】の看板ネコ、Sette(セッテ)だからである。
この店の七人目の従業員と言う意味を含んだ、イタリア語で数字の七を表すSetteと言う名は、この男、坂本昌行に付けられたものだ。
元は野良猫であった私を拾い、この店の看板ネコとしたのも何を隠そうこの男である。
ゆえに私は彼に一方ならぬ親しみを持っている。
そしてどうやらそれは彼も同じらしい。
坂本昌行は少々強面の顔を緩め、優しげな笑みを浮かべると、厨房の外に出て私を抱き上げた。
正直な話、人間に抱き上げられるのは余り好きではないのだが、彼の武骨な手がそっと優しく私の体をすくい上げる感覚は嫌いではない。
なので大人しくされるがままでいると、私の頭を軽く撫でた彼は、普段より幾分柔らかい声を出して私に言った。
「そろそろ休憩しようと思ってたとこなんだ。良い時間だし昼飯にするか、セッテ」
確かに廊下にある壁掛け時計の針は正午過ぎを指していて、私の腹の虫も今にも鳴き出しそうである。
ゆえに異論はもちろん無い。
返事の代わりににゃあと鳴けば、はは、と笑った彼が「Va bene(了解)」と言ってまた私の頭を撫でた。
「メニューは何にするかなぁ。そういえば最近和食食ってねぇんだよな…」
そんなことを言いながら私を抱いたまま歩き出した彼は、どうやら店の裏手へ向かっているらしかった。
そこにはイタリアのそれを意識した、真新しい石造り風のアパルトメントが一軒建っている。
二階建てのそれは彼と私、それにもう一人がルームシェアをして暮らす家である。
もう一人と言うのは言わずもがな・・・
「あれ?お帰り。二人揃ってどうしたの?」
そう、我らがVittoriaのPadrone、長野博その人である。
玄関扉を開いたらば、ちょうど二階から降りて来たらしい彼が私たちに気づき、柔和な微笑みを浮かべて緩く首をかしげた。

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日記(2013/08/07)掲載文を収納。

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